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考察!『待って、待ってる、待って、待ってた、待って、待たない。』(考察という名の感想)


近くて便利なサンタ



先日公演が終了した、

ビト作『待って、待ってる、待って、待ってた、待って、待たない』について、

個人的な感想をここに書き記しておきたいと思います。


 なぜかというと、「夏が終わるな……」と、ふと思いまして……。

 

 8月22日、目白駅前のホテルを出ると、外は油蝉の声に満ちて、まるですべての生命が産声を上げたようでした。

 その日千秋楽を終えたこの作品には、我々の夏が、詰まっていたのです……。(笑)



↓以下感想(ネタバレ含みますので、イヤな方、下まで飛ばして下さい<(_ _)>)










 内田演出によるオープニングのテーマは「創造」。

 混沌とした笑い声とともに、無数の花びらが舞う。やがて花びらは一つの意思によって形あるものの中へその命を宿し、産声に似た泣き声と笑いに包まれ、やがて一つの光を見るに至る。まるで世界の混沌と光を凝縮したような演出だ。無数のテーマが盛り込まれた本作品を包括的に解釈し、「人間賛歌」へと結びつけ、作品を平易にかみ砕く、優れた幕開きだったと思う。その演出上の精神は幕引きまで貫徹し、、、と、座組の人間が座組の長(と便宜的に言うが)である演出家の姿勢を称賛することほど薄ら寒い事は無いと思うので、このあたりにしておくが、この演出だからこそ、共感できる部分は無数にあり、十人十色の解釈が存在し得る作品になったと思う。


 ならば、ぼくも一観客の立場で、ぼくが感じたこの作品のテーマ、特筆すべき点について述べたいと思う。


 まず第一に、「神を信じない弟」。この弟、神を信じないなら、何を信じているのかというと、たぶん肉親の情、とりわけ姉弟の情だろう。

 超越的存在や、今ここにいない「あの人」の帰還を信じ待ち続ける姉に対し、弟は、現在相対している自分たち、姉弟の血縁関係こそが絶対であり、これこそ唯一信ずるに値するものだと信じている。(ように見える)

 そう思い至った理由は何だろうか、姉弟を取り巻く境遇のせいだろうか、弟は本質的に姉以外を信じていない。姉のみを信じ、愛し続けている。その愛情は色濃く、性愛に通づるものさえある。

 このいびつな愛情の根源は「寂しさ」だと僕は思う。無意識に「愛されていない」と感じるからこそ、「愛されていない」自分を肯定するために、他のあらゆるものを排斥して、唯一信頼のおける血縁である、姉からの愛情のみを求めたのだと思う。

 さらに彼は、物語の最後まで、姉に愛を求め続ける。しかし、人間は、愛されてないと感じるからこそ、「愛されたい」と願うはずだ。

 すなわち、姉からの愛情にさえも、やはり彼は疑いを持っていたのだろう。

 そして彼は、あらゆるものを信じることが出来ず、姉そのものを失うという悲劇的結末を迎える。


 この弟と対照的なのは、7回ラッパを吹く男、瞬だ。

 彼は、純粋かつ絶対的な母の愛を追い求めるあまり、戸籍上の母にとらわれず、広く一般に目を向けて、本当の母を探し求める。この行動も、寂しさに根差すものなのかもしれないが、彼は情熱的だ。杏を母と見込んでから、彼は杏を疑わない。また、杏も、ビー玉のような目をした彼に信頼を置くようになる。

 そして杏が死んでからも、彼は過酷な運命の中で母の愛を信じ続ける。


 聖書をモチーフにした神話的要素が散見される本作だが、電信柱を父と見立てたときに、壮大な家族劇だととらえることもできるのではないかと思う。

(なぜ急に電信柱を父と例えたかと言えば、冒頭のト書きに「(前略)たのもしい父の背中を感じる。」と書いてあるからだ。)

 神話の事は、ぼくにはよくわからないが、母と姉が居るぼくにとって、先に上げた弟と、瞬の二人は、非常に共感できるキャラクターだった。

 家族という、身近な関係に疑いのない愛情さえあれば、世界がどれだけ滅茶苦茶になっても、ぼくはそれでいいと思う。

 この脚本の底を走っている精神からも、そんな事が窺えるような気がする。








~~~~~感想終わり~~~~~~





これ、近藤は、かなりけったいな役で出演しておったんですが、ビジュアルが面白いので、まだ見てない方、

観劇三昧さんがめっちゃ綺麗に撮ってくれましたので、是非ご覧ください。9月の5日まで見られます。ぜひ!

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クリアア〇ヒが家で冷えてたサンタ


サンタだと思ったかい~?



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